技術者になる前の話

以前にも書いたが、K大に入学し、大学院まで行き修士課程を修了した。
自分の過去のことは過去のことであり、会社生活の中では切り離して、極力学生時代のことを話すことはなかった。それはK大というレッテルを貼られることがいやだったことも多分に含まれる。ただ、最近、自分を語る上で、どうしてもこのことを避けて通ることはできないと感じるようになった。なぜ技術者を志したかを言うことはもっと前にさかのぼらなければならないが、今日は、技術者である私を育てたK大でのことを書きたいと思う。


K大を志したのは、「自由な学風」にあった。それは、当時は事実だったと思う。今はどうかはわからないが。当初は電気系を志望していたが、材料系も視野には入れていた。ただ、K大では材料系はあまりぱっとしたイメージが無く、どちらかというと材料やったら東北大(東北大学金属材料研究所や金属博物館*1がある。KS鋼(永久磁石)の本多光太郎先生*2やPINダイオード・Si単結晶製造の西澤潤一先生の出身校:当時は東北大の総長)のイメージだった。ただ、センター試験が散々だったために、半ばばくちに近いものでK大金属系学科で受験した。


そして、遷都1200年記念合格*3で受かってしまった。受験時に『機械系学科(3学科)・航空工学科・金属系学科(2学科)・原子核工学科は改組され「物理工学科(大学科)」になります。ただし、国家予算が通った時には。』とあった。その年は国会が紛糾し、予算が4月になっても通らなかった。手続き書類の学科欄にどう書いたら良いかわからなかったので大学職員に尋ねたところ「物理工学科と書いてください。予算は通りますから」と言われたことを未だに覚えている。


発足初年度の物理工学科は基本的には合格した学科で3年時にコース分けをされた。ただし、金属系は大学院重点化との兼ねあいもあり、材料工学コースとエネルギー理工学コースエネルギー応用工学サブコースに分けられた(ちなみに原子核工学科はエネルギー理工学コース原子核工学サブコースだったと思う)。エネルギー応用工学は鉄冶金/非鉄冶金/粉末冶金が該当した。私はエネルギー応用工学サブコースだった。当時サークル等でのレジュメには全部のコース名*4まで書いて「(長!)」といつも追加していた記憶がある。


さて、ここからがK大の自由なのだが、物理工学科になったために、必修(卒論と研究)、選択必修(3年時の実験演習)以外はコース別推奨科目が設定されるのみで、特にエネルギー理工学コースはかなり自由な選択が可能だった。また、コースを越えた受講も可能だった(もちろん単位認定される)。当時「もんじゅ」が問題に挙がった頃で、4回生のときには「放射化学(放射線化学;ただこれは途中でリタイヤ)」「生物物理学(隔年開講で原子核工学サブコース推奨;医学部の先生による放射線と生物の講義)」「原子炉基礎実験(熊取にある原子炉実験所(臨界核実験施設で大学保有は当時京大と東海大だけだったと思う)で1週間実験する、原子核工学サブコース向け)」を履修した。3回生のときには核沸騰/膜沸騰なんかもやった記憶がある(これも原子核工学サブコースの科目)。「原子炉基礎実験」では、原子炉実験所の先生方とバーベキューをやった時に、「動燃ってどうなんですか? 核燃料サイクル開発機構*5って名前変えてますけど」と聞いたことがある。かなり意外な回答がかえってきたことを覚えている。予想をしていなかったのでさらに深く突っ込めなかったが(今ならもっと突っ込めたと思う)。ちなみにその先生は現在原子力安全委員会の委員をされている。


大学院は大学院重点化でエネルギー科学研究科という独立大学院になってしまっていた(工学研究科のエネルギー応用工学専攻が発展的解消によるとなっているが、諸問題があり、各種もろもろがここに集まった。その中には原子炉実験所や環境経済学、粉末冶金が幸福論(エネルギー社会工学:今は物質循環論などいろいろ)も含まれるという非常におもしろい構成)。当時は主専攻と副専攻を持つ制度になっており、副専攻は概論とゼミ(半期を2回)を受講、主専攻は講義と研究/ゼミを受講するという制度であった。どちらかで必ず「エネルギー社会・環境科学専攻」を取らなければならないという制度だった。ここでも、自由(これは私の選択の自由)が発揮される。「環境経済学
*6」と副専攻のゼミで「エネルギー政策学」を受講した。エネルギー政策学のこの教授*7は当時、原子力安全委員会の委員であったことがある。ゼミは「2040年の〜」という中身で、集中ゼミだったが、非常に面白かった。*8


という変遷と激動の中で学生時代を過ごしたのだが、唯一言えることは、元々やりたかった材料工学のみならず、興味関心のあった原子力工学関連について、学ぶ機会を与えてもらい、好き気ままに学ぶことができた。このことは非常に良かったと今でも思っている(他にも思うところはあるのだが、本論から外れるのでここでは触れない)。


だからこそ、現在の東北地方太平洋沖地震及び津波の問題とこれに起因する原発問題には関心を寄せずにはいられないのである。もちろん原発問題についてはプラント運用をしたことのある技術者としての側面も、IE技術者としての側面でも、疑義のある部分(「あれ? おかしくね? 」と思う部分)が少なくともある。今後も注視していきたい。

*1:今は東北大学総合学術博物館に収蔵物が移管

*2:愛知県岡崎市(当時は碧海郡矢作町)出身らしい

*3:「遷都1200年合格枠」とも呼ばれています。詳しくはぐぐってください。

*4:工学部物理工学科エネルギー理工学コースエネルギー応用工学サブコース

*5:2005年4月に日本原子力研究所と統合して独立行政法人日本原子力研究開発機構に名称変更

*6:環境経済学 (現代経済学入門)の著者の先生の講義

*7:聖書・バッハ・原子力―知のゲームを楽しむ野次馬学 、 原子力政策学(こちらは当時の教授・助教授コンビの共著)

*8:これは改めて書いてみたい。