シミラン諸島ダイビング旅行記

例によって簡略バージョン。紹介はこれから。

  • 5/2(月)仕事後、車で空港へ。その後羽田へ。羽田の建物の中が暗い。震災の影響?
  • 5/3(火)NHでバンコクへ。荷物はスルーだったためにあとでもめると困るのでシールを貰おうとしたがうまくいかず、たらいまわしになったが、結局一旦シールを貰って入国して逆走(入国しているから問題なし)。英語ちゃんと使えた。昨年の傷跡を確認したがまだまだというところともう大丈夫というところとあって、微妙な感じ。エアポートレールリンクは結構使える。スワンナプーム空港でのんびりしてTGでプーケットTG50周年でモヒカンジェットならぬ当時の塗装で飛んでたみたい。記念品ゲット。5年ぶりだが相変わらず荷物は外に出て取りにいくという相変わらずぶり。車で1時間半でタプラム。船に乗って速攻のみほー(飲み放題)。
  • 5/4(水)久しぶり(4年ぶり)のダイビング。1本目は緊張したが何とかなった。2本目は流れが強く、潜行失敗。エアを使い過ぎてDMトレーニング中のサポート(彼は教えるのがうまかった。アドバイスが適切。イントラでもやれるかとは思う)と一緒に早々と上がる。3本目はウエイト対策とってOK。4本目はナイト。カメラ持っていけば良かった。LEDライトなので十分撮れるかも。カニエビ撮り放題状態で失敗。
  • 5/5(木)99本目(1回潜る=1本と数える。タンク1本の意味)でエキジットでウエイトを落とす。ウエイト、ウエイトと言われて気づいて下を見たら既に落ちて行っていた。そのあと100本記念ダイブ。
  • 5/6(金)流れきつい。エントリー、エキジットともかなり波があり流れもあり危険な中、ガイドも良くなんとかうまくやれた。
  • 5/7(土)1本潜ってタプラムへ帰る。絵はがきを買って宿で書いている間に大雨(スコール)。ハガキは投函をホテルに依頼したが未だ届かず。やっぱり空港で出すべきだったか。チップが無かったのが悪かったか。
  • 5/8(日)チェックイン時にロビーに靴を忘れたのを取りに行って、荷物をまとめて、空港へ。皆さんに送ってもらう。空港にはガンダムの絵+がんばれ日本。ありがたい。1本早く乗れないか交渉したがアウト。スワンナプームへ。タクシーで友人Kの家へ行き、食事をしてシャワーを浴びさせてもらい、再び戻る。NHで移動。
  • 5/9(月)成田着。成田ー羽田はバス。羽田で早いのへの変更を試みるも、早い便は行ってしまい、結局羽田で4時間待ち。体調よくなく、ラウンジでのんびり。空港で自分の車は黄色くなっていた。黄砂の影響。
  • 翌日から無事勤務。

今回、思ったのは、安全に絶対はないということ。スキューバダイビングにはそれなりのリスクがあることを再認識した。やっぱりブランクダイバーはこのオフに入ろうとする時期のシミランクルーズはきつい(正確を期すれば、今回はシミランは殆ど行かず、ボン島、タチャイ島、スリン諸島だったが)。ブランクは空けない、できるならデイトリップで慣らすなりしておくことが良いと思った(このブランクとは、2年を越えるようなブランクという意味)。
プーケットでのダイビング事故は帰国後に知った。今回100本を無事迎えて思うことは、「良きバディや良きイントラさんガイドさんに支えられてダイビングができるということを幸せに思う」ということだ(その多くは今もガイドされている方もいるが、辞められている方も多く居る。OWのイントラも辞められているし、AOWのイントラも陸に上がっている。今回のクルーズを最後にイントラを辞められる方もいる)。そしてダイビングは人のつながりであることも再認識させられた。