僕が「24時間テレビ」が好きではないわけ(理由)

ここ数年、テレビがある生活をしている。
でも、24時間テレビというのはどうやっても好きになれない。
というか、違和感を感じている。
その違和感はいろいろあるのだが、自分のことを含めてまとめてみたいと思う。

いろいろ思うところあって、隠しました

  • 中途半端なひとは放っておかれる

テレビに出られる人はかなり限られる。想い。じゃなくて重い。
出られるひとは限られる(と思う)のです。
出られないけど障がい*1の程度が非常に重い人は出られない。かといって軽い人は出ない(出られない、というか、自分で力をつけて外の世界へ出て行く。パラリンピック然り、そうでなくても表現の世界然り。)。むろん、その意味はわかるんですが、言っていけないような雰囲気がこの社会の中にある。いろいろなんですよね。どこで線をひくか、どこで手を差し伸べるか。ささえあうのか。多分アクティブに動ける障害者手帳保持者はそれほど言われないのでしょうね。車両等を寄付することで重い人にも手を差し伸べているのでしょうね。そこでヒエラルキー(のようなもの)が産まれているような気がするのです。それは違うと思う。

そして、実は、世代は、つながれるかどうかはまた別。「つなぐ」っていうのは簡単で結構重い。(それは、今の仕事にも実は関わるのです。。。)

  • 本当に必要な人に届くのか

毎年棋譜もとい寄付をつのっているのですがそれが本当に必要な人に届くのか? 寄付文化と称して「ふるさと寄付金」もしているが、あれはふるさと寄付金(市町村への寄付)や東日本大震災の寄付金でないと全額控除にならないし、自分の住む市町村への納税をまわすことになるので、本当の寄付になるのかあやしい。ましてやいまの物で釣る(吊る?)ようなやりかたでは寄付文化は根付かないと思う。最近はロゴマークのついた車を以前より良く見かけるようにはなりましたが。
個人的には、収入のある方は後で書いてるとおり、ちゃんと確定申告(そのためには領収書のもらえる、認可のあるところへ寄付する)するようすすめます。個人の寄付は規模と継続が必要。小銭はいいけど、どうなのか、と。これが結局「だまし」のように思えてしまうのです。毎年しなくても、例えば3年とか5年に1度まとめてからしてもいいんじゃないの、と。

私、笑点すきなんでみてるんですよ。こん平さんがこの難病とたたかっていることは知っています。確かに、発病と言われる時期(24時間TVに出てた最後)よりまえからおかしかったみたいです。でもこの病気は若い人もなる*2可能性がある。 確かにこん平さん、がんばってるけど、プライドと両天秤掛けたらどうなんだろうなって思いました。(実は、私はこの時間帯だけ見てます)出ることはステップになるけど、非常に複雑な思いを抱きました。24時間じゃなくてもこの日に特番でもいいのでは?  という気がします。あ、24時間の直後に倒れたのでというなら、まあ、それはそうなのか、と。

で、「難病」って定義がすごい難しい(?)。突発性難聴も難病なんですが。

というきもしますが、それは言うべきではないのでいいません。

  • いろいろ思うのですが結局、「押しつけ」と「だまし」

のようなきがするんですね。
ボランティアでも今や無償もあるけど有償でさせていただくものもある(保険掛ける場合の方が多い)。寄付や募金も小銭をあつめて募金してもいいけど、収入があるのなら、ましてローンがある人なら確定申告するだろうからある程度まとめて領収書貰ってする方が望ましいだろう。

  • で。

まだ書けない(いや、書かない)こともある(んだろう)けど。表題部分がいいたいことにとりあえずしました。他にも深夜帯って「ええ〜!」って過去に思ったとかあるんですが、すごいどうでもいいんですわ。


まあ、まあ、横でテレビがついてて、それが「24時間テレビ」なんで(いつもは「イッテQ」みてる)、それはそれでいいか、と。結局人生経験つまびらかになんて書けないし書かないから、それ以上でもそれ以下でもなく。

*1:(以下、障がいを障害とかくかもしれません。しょうがいとかくかもしれません。障碍ともかくかもしれません。その辺りでツッコミ入れられたくないので、ご容赦願いたい)

*2:(40才台でもある・・・訪問介護ステーションの事務をさせて頂いた機会があり、この病名は知っていた)